2018年8月29日水曜日

「イギリス」だの「アイルランド」だのってどこのことよ?(3)

承前……ということでひとつ。

さて、16世紀に西欧中を巻き込んだ宗教改革騒動が、海を隔てたイギリス(ブリテン)にも及び、結果的にはイングランドもスコットランドも一応プロテスタントに属することにはなったのに対し、アイルランドはカトリックにとどまり、つまるところ、新教の大ブリテン島対旧教のアイルランド島という図式とはなるという具合です。そのアイルランドが厄介なのは、北の一角のみがブリテンと同様新教系が支配的だってところ。

上で「一応」と申しましたが、日本では「(英国)聖公会」などとも呼ばれるイングランド国教会、 Church of England がプロテスタントを標榜するのは、ローマ教皇庁の堕落腐敗への抗議者、という原義からすればちょいと詐称のようなもので、宗教改革などとは程遠く、単に王様、ヘンリー八世が離婚したかったからローマと手を切った、というのが実情、ってのも結構知られた話かと。リック・ウェイクマンのソロアルバムに『ヘンリー八世の六人の妻』ってのがあり、なるほどね、と思った高校時代がちょいと懐かしかったりして。

2018年8月28日火曜日

「イギリス」だの「アイルランド」だのってどこのことよ?(2)

【承前】だいぶ前なんですけど、地元の安バーで隣り合せ、飲みながらいろいろ話をしていた相手のお人が、まさにそのユニオンジャック柄の小物入れか何かをテーブルに置いてたんで、ついそのデザインについて知ったかぶりがしたくなり、自分としては、白と赤のバッテンが左右で上下が逆になってることについてあらずもがなの講釈を垂れようとしたところ、こちらの発言を遮って、「これはイングランドとスコットランドとアイルランドの旗を混ぜ合せたものだ」って教えてくれんですよ。

そりゃ現状では、あの赤バッテン(英語では ‘saltire’ てんですが、日本語じゃなんて言やいいんだか。「斜め十字」?)が代表するのは、アイルランドの北端部だけではありましょうし、今どき単独でその白地に赤バッテン旗が使われるのも、やはり北アイルランド(という地域? 国?)のみに対してだけでしょう。でもそれは百年ほど前の政治的分断の結果に過ぎず、あの旗自体が初めからアルスター、つまり北アイルランド「地方」を象徴するものなんかじゃないのは、その分断を1世紀以上遡る19世紀初年から現行のユニオンジャックは存在し、それは取りも直さず、その「3国」連合の旗印が現出するには、それ以前に、第三の構成員として加えられたアイルランド王国、すなわち北も南もないあの島全体を版図とする国の印、あの赤バッテンが既に存在しなければどうしようもなく、ってことなんです。

2018年8月25日土曜日

「イギリス」だの「アイルランド」だのってどこのことよ?(1)

アイルランドって言うと、日本ではどうも「アイルランド共和国」という国のことだと思ってる人が多くて、ときどきかなりの齟齬に直面します。英語で ‘Ireland’ とか ‘Irish’ って言ったら、公式にはどうあれ、普通は政治的な要因とはまったく無関係に、「国」ではなくあの「島」全体のことですから……って、いくら言ってもわからないばかりか、「北アイルランド」はイギリスであってアイルランドではないってな、相当に滅茶苦茶なことを居丈高に言い募り(「アルスター」なんて言っても通じないし)、こちらが、北アイルランドは飽くまでアイルランドの一部なんだけど……って言おうものなら、あからさまに「無知」を見下したような顔する人も少なからず。

2018年8月20日月曜日

完了は受動から派生、とかいう話(6 ‐ 終)

承前……と、一応断っとくことに。「ドリカム」こと ‘Dreams Come True’の話です。

初めはこれ、単に3人いるから ‘Dreams’ って複数形にしてんのかな、って思ってたんですが、それにしても ‘Dream Come True’ っていう普通の言い方(名詞句)のほうがスッキリしてていいじゃん、と思ってそう言ったら、あたしが英語使いだって知っているにもかかわらず、それを聞いた友人、「何言ってんの? それなら ‘come’ じゃなくて ‘comes’ になるじゃん」って呆れたように返しやがる。ふぅ。

2018年8月19日日曜日

完了は受動から派生、とかいう話(5)

『風と共に去りぬ』こと ‘Gone with the Wind’ の ‘Gone’ が、動詞の完了ってよりは、名詞を修飾する形容詞ってのが本来の役どころ、って話です。

いや、この題名の語列だけだと、何せ被修飾語たるべき名詞の呈示がないから、自ずと別儀とはなりましょうが、映画の冒頭付近、かの壮大な主題曲の終りに付されて、南軍の軍歌的存在たる ‘Dixie's Land’ が切なく侘しいアレンジで奏でられる中、それに乗せて示される文言の最後に出てくる ‘gone with the wind’ は、その前にある ‘a civilization’ を後ろから修飾するものにて、つまりは形容詞句たるは灼然、てなところでして。相変らず何言ってんだかわかんないかも知れませんけど、とりあえずウェブの動画で確かめました。

2018年8月18日土曜日

完了は受動から派生、とかいう話(4)

卒爾ながら、前回の終りに、シェイクスピアの記述に出てくる完了は他動詞ばかり、などと申しましたものの、そいつぁちょいと迂闊だったか、ってのに気づきまして、検索し直してみました。

つまり、自分で ‘have’ は元来助動詞ではなく、それ自体が述語たる他動詞であり、過去分詞は目的語を修飾する形容詞であった、てな能書きを垂れてたくせに、うっかりその助動詞 ‘have’ (hast, hath) で検索しただけだったんです。だから、その ‘have’ という「その後」定着した助動詞以外を用いた完了表現は一切引っ掛からなかった、というだけのことでして。

で、こんだ少し知恵をつけて、分詞のほうで探しゃ何か見つかるんじゃねえかと思い至り、専ら自動詞として使わるやつてえとまずはあれか、ってんで ‘gone’ で検索したところ、結構ザクザク出て参りましたる次第。
 

2018年8月17日金曜日

完了は受動から派生、とかいう話(3)

早速ながら、前回言っとりました、現代語では使役の意味にとられがちな「元来」の語順である ‘I have a book bought’という形、本来の文意は「買われた(俺が買った)本を持っている」、つまりは「本を買うという行為が完了し、その結果が今ここにある」といった意味であったものが、やがて後置の「形容詞」 ‘bought’ を、言わば原義である他動詞と見なし、当然のようにその目的語である ‘a book’ の前に移動させた結果が、つまりは「完了」と呼ばれる言い方の始まりではあったのでした。

2018年8月15日水曜日

完了は受動から派生、とかいう話(2)

さて、「完了」の謎(なのか?)についてのお話。

‘have’ などという、本来は目的語が必須の他動詞に、別の動詞の ‘-en form’、いわゆる過去分詞が付されると、どうして「完了」なんてものになるかと言うと、ひとつには、それが前回言及した「自他」の混同から生じた誤用の慣用化、ってことだったりもするようで。

もともとは間違いなく他動詞として使われていたものが、その目的語を後回しにしちゃったために、その ‘have’ が、本来はその直後にあった目的語を後方から修飾する形容詞(過去分詞)とくっついちゃって、やがてその「ズレた」形が定着するに及び、こいつぁ動詞(の過去分詞、すなわち正体は形容詞)の直前に位置するのだから、さしずめ助動詞てえやつに違えあるめえ、というふうに強引に理屈を合せた……のではないかしらと。
 

2018年8月12日日曜日

完了は受動から派生、とかいう話(1)

先日までああだこうだ書き散らしておりました ‘have got’ か ‘have gotten’ かって話の途中で、「それについてはまたいずれ」などと言っていた件について以下に申し述べます。実はちょっと忘れてました。横着ながら、以前 SNS に投稿した文章を一部再利用。

「完了」ってのは、そもそも受け身の意味しかなかった(当然他動詞の)過去分詞を、言わば拡大解釈によって「捻じ曲げた」ものだった……ってのは言い過ぎにしても、まあ当らずと雖も何とやら、といったところではございましょうか。でもその話の前に、またぞろ昔の恨み言をひとくさり、ってことにはなりますが、どうぞ悪しからず。
 

2018年8月9日木曜日

改めて「時制」または ‘tense’ について(13 ‐ 終)

早速続きです。その ‘social distancing’ とか ‘attitudinal past’ とかって、ぜんたいどういったものなのかと申しますと、中学のときに習って、何だか理屈は飲み込めないけどとにかくそういうもんか、と思って覚え込んだ、 ‘I want ...’ より ‘I'd like ...’ のほうが丁寧、っていうようなやつなんでした。

この ‘I'd’ は、イギリスじゃあ ‘I should’ で、アメリカだと ‘I would’ の略、ってことにはなってたけど、何せ口頭では普段、特段強調するんでもなければいちいち ‘should’ とも ‘would’ とも言わない上、これもやはりアメリカナイゼイションの浸透により、敢えてかしこまって言う場合であっても、今どきの英国人は ‘would’ も普通に多用します。今どきも何も、ずっと前からそうなんですけど。

でもそれは一人称主語ならではの話。相手の意向を尋ねる場合は、 ‘Do you want ...?’ の意味で ‘Would you like ...?’ とはなる、ってのも昔懐かしい中学英語の基礎知識って感じではありますが、実はそれ、日本人にとって多少ヤバいのが、断る場合は ‘I don't want ...’ と率直に言っといたほうがよっぽど無難、ってのがわかってない人が存外多い、ってところだったりして。

2018年8月8日水曜日

改めて「時制」または ‘tense’ について(12)

‘modals’ すなわち ‘modal (auxiliary) vebs’、いわゆる「法助動詞」または「叙法助動詞」というやつにこそ端的に表れる(と無理やり言い張ることにしとります)、「現在」と「過去」という「時制」、正確には ‘present’ および ‘past’ という2つの  ‘tense’ が、多くの場合、即物的な時間区分とは無関係に、言うなれば、その動詞によって表される状況に対しての話者の意識、当人にとっての「遠近感」の如きものを言い分けるのに用いられる事例が多い、という話をして参りました。相変らず文が長くてすみません。どうにかならぬものか、と自分でも思うことはあるものの、どうにかする気がそもそも希薄なようで。そこはどうぞ悪しからず。

2018年8月5日日曜日

改めて「時制」または ‘tense’ について(11)

随分と久しぶりって心地ですが、とりあえず暫く離れていた ‘tense’ 絡みの ‘modal’ 談義に回帰、ということでひとつ。

そもそもこの長~い話、 ‘tense’、いわゆる「時制」ってのが、原義としては「その動詞の表す動作、状態がいつのことなのかを示す語形」というようなもので、そのラテン文法本来の定義に従えば、今の英語には「現在」と「過去」の2つしか ‘tense’ はなく、単語では表せない「未来」はその限りに非ず、とか何とかいう話から、実はその2つ、実際には時間的な区分ではなく、話者にとっての「遠近」の差をこそ表すもので、感覚的に近ければ ‘present’、遠ければ ‘past’ ……ってのを例示するのに、一般の動詞よりはむしろ、「(叙)法助動詞」と訳される ‘modal (verb)’ てえ連中のほうがおもしろそう、などと思ってそれに言及したのが、ここ暫くの逸脱の発端なのではありました。文が長いのは、詰め込めるだけ詰め込みたがる、生来の貧乏性のせいかと。

2018年8月4日土曜日

‘Have you a cigarette?’(4)

承前……とでも言っときましょうかね、早速話の続きです。

18世紀も後半の1762(宝暦12)年、規範英文法の大家、ロバート・ロウス(Robert Lowth)が、自著の文法指南書で、本来の過去分詞が過去に取って代られるという「昨今」の風潮は実に嘆かわしい、とこぼしてるってんですよね。 ‘get’ の過去分詞も飽くまで ‘gotten’ であって、これを過去と同形の ‘got’ で間に合わそうなどとは言語道断。それが世俗の口語にとどまらず、一部の著名な書き手の使用によって公認されるとは……みたようなことを言ってるそうな。

その時点ではまだアメリカは植民地、つまりイギリス(既にイングランドとスコットランドの連合体)の一部ですので、やはりその後の英米の語法対立はまったく無関係。いずれにしたって、いくらそんなこと言ったところで、既にその百何十年も前に、かの沙翁、シェイクスピアを始め、高名な文筆家がその「嘆かわしい」語法を使ってんじゃごぜんせんか。

2018年8月3日金曜日

‘Have you a cigarette?’(3)

唐突に何ですが、あろうことか(ってこともないけど)、‘gotten’というアメリカ弁特有の「古語」が近年、他の英語国と同様、イギリスでさえ復活の兆しを見せ始めている、という現状もあるのは、前回触れた統計からも知られるところではあるのですが、それはまあさておくと致しまして……。

イギリスにおいて、ったって、アメリカなんて国はハナはなかったんだから(ブリテンとか UK ってのも同様)、英語と言えばイングランド語のことに決ってはいたわけですが、とにかくこの、過去と同形の過去分詞 ‘got’、早くも16世紀末には姿を見せており、シェイクスピア[William Shakespeare:1564(永禄7)- 1616(元和2)年]だのホブズ(Thomas Hobbes:1588(天正16)- 1679(延宝7)年]だのは、‘gotten’と併用していたと申します。

2018年8月1日水曜日

‘Have you a cigarette?’(2)

さて、前回から引き続き ‘have’ とか  '(have) got' とか ‘have gotten’ とかについての与太話を。

「所有」や「所持」といった意の(というのも曖昧な言いようとは承知) ‘have got’ は基本的に英国風ではあるものの、歌の文句では昔からアメリカのものにもよく見られ、その場合は肝心の(?) ‘have’ が省かれて ‘got’ という「現在形」が多用される、てなことは申しました。アメリカでは、純然たる完了は ‘have (has, had) gotten’ だということも。

それでもやはり、どうにも釈然としないなあ、と思うところはありまして、いい具合にオタッキーな英語サイトを見つけて覗いたり(どれもイギリスのものだったのは、ここ数十年、一方的に米語に「侵略」され続けてる側だから?)、もう何十年も前の古いイギリスの語法辞典を読み返したりなどしたところ(新しい版も持ってるけど、古い話は古い本のほうが当然精しいということで)、結構いろいろわかったんです。それをまたお伝えしようという了見でして。