2018年5月31日木曜日

‘subjunctive’が「仮定法」?(8 ‐ 終)

「仮定法」(その前にまず「法」)という訳語、およびその語義や用法における伝統的な混乱といったものに対し、毎度恣意を極めた小理屈を並べて参ったわけですが、再三申し述べておりますように、何ら事前の構想なんてものもないまま、その都度思いついたことを書き散らしているため、どうも未だに何か言い忘れたような心地も致しますものの、まあどうせ考えたってわかりゃしねえし、とりあえずは前回分まででひととおりの言いがかりは終えることに。

古い英書の文言なども引合いに、訳語の不適なる(と勝手に決めつけてる)点を始め、言いたいことは結構吐き出したとは思うんですが、ここで今一度、あらずもがなの駄目押しなどをしとこうかと思っちゃいまして。ウェブに見られるその訳語、すなわち ‘subjunctive (mood)’ という原語ではなく、「仮定法」てえやつの定義における、どうにも曖昧な、と言うよりいっそ滅裂とも申すべきところについての難癖、って感じ?
 
                  

まずは、ざっと目を通した複数の記事にほぼ共通する言い分を以下に要約。

2018年5月27日日曜日

‘subjunctive’が「仮定法」?(7)

いろいろ無秩序に書き連ねて参りましたが、英文法における「法」とその原語たる ‘mood’ (あるいは ‘mode’) については、ひとまず一区切りついたようで、引き続き、むしろこれこそがこの駄文全体の主眼か?って気もする、そもそも「仮定法」の「仮定」っていったい何なのさ、ってことについて改めて文句言っとこうかと。
 
                  

「仮定」という、またも安直で不適当極まる訳につられ、‘if’、つまり「もし(も)」との抱合せ表現のことだとでも思ってんじゃねえかしら、っていう「解説」を施してくれる御仁が、ウェブでは依然散見されるのですが、とんでもねえこって。

実は下拙も中学の時分はそんなもんではあったんですけど、だってちゃんと説明してくれねえんだもん(俺が話聞いてなかっただけか)。とにかく、原語(の筈)の ‘subjunctive (mood)’ は「下接法」とでもすべきものであり〈実際、英語以外については日本でも「接続法」だの「従属法」だの「附属法」だのって言うそうじゃねえかい)、まず「仮定」って言い方が何よりの曲者、って気もして参ります。

2018年5月25日金曜日

‘subjunctive’が「仮定法」?(6)

『‘subjunctive’ が「仮定法」?』などと最初に銘打ってしまったこの一連の駄文、英語の仮定法というものに対する日本での扱いについての愚論が主旨だった筈が、ついまた余計な枝道に迷い込んでしまい、漸く何とかそこからは生還、ってところです。

しかし、何だかだいぶ間を置いてしまったような気も致しまして、話がどこまで進んでいたか確かめようと、ちょっと前の投稿を読み返したりもしたのですが、どのみち半端なままで中断してたし、「どこまで進んでいたか」などは考えるだに無駄、と思い極めました。とりあえずは、内容の重複などは顧みず、「仮定法」という訳語その他に対する悪口を再開致しとう存じます。

まずはその「仮定法」の「法」って部分、および「仮定法過去」に「用いられる」とかいう「過去時制」の「時制」って言い方についての、相も変らぬ無益な難癖から。
 

2018年5月21日月曜日

‘subjunctive’が「仮定法」?(5)

引き続き「主節」についての与太話を。肝心の「仮定法」に対する言いがかりの続きは、次回から何とかってことでひとつ。後回しにした2つめの話題、「法」と「叙法」の「叙」についての愚考は、既述のとおりいずれ然るべきところでまた書き散らす(たぶん)所存。

そもそもなんで「主節」なんてもんに引っかかっちゃったのかと申さば、件の「仮定法」ってのが、本来は複文における従属節で用いられるべきもの、と言うより、英語の原義には「仮定」なんて観念は微塵もなく……ってなことをこそ述べるのが主旨であった筈が、その従属節を従属節ならしめる存在ってことで、この「主節」について「ちょいと」言っとこうかと思ったのが運の尽き。未だに自分の性癖を把握していなかったようで。
 

2018年5月19日土曜日

‘subjunctive’が「仮定法」?(4)

さてと、前々回後回しにするって言っといた2つの事項の1つめ、「主節」という言い方に対する無益な愚論ってのを、とりあえずやっつけとこうかと思って始めたものの、図らずも(いつもながら)随分と長い話になっちゃって、なかなか終んないもんだから、前回はひとまず弁解と予告だけ掲げといたんでした。

多少の努力の下に、その主節談義にも何とか収集をつけるべく、以下に書き連ねて参ります。くっだらねえですよ、相変らず。って、自分で言ってもなあ、とは思いつつ。
 
                  

さてこの「主節」てえやつ、以前は素朴に ‘main clause’ の訳ってことで丸く収まってたんですが、その ‘main clause’ っていう英語自体の定義がちょっと曖昧で、近年の多少とも凝った文法書では、これに言わば細分化が施され、2つの新たな用語が導入されているのでした。それらの「和名」は寡聞にして存じませず、よんどころなく依然大雑把に「主節」とは言っとりましたる次第。

2018年5月17日木曜日

‘subjunctive’が「仮定法」?(3)

前回の終りに、「ちょいと考えてから続きを……」などと申しましたが、暫くサボってほっといた後、ちょっとは考えてはみたものの、結局いい知恵など浮びませず。当初は自分でも認識していなかった、この駄文の単一ならざる主旨を、何とか整然たる体裁で記せぬものか、と思ったんですが、そりゃどうも無理ですね。

「単一ならざる」とはぜんたい何のことかと申しますと、前回も言いわけしとりましたが、

2018年5月14日月曜日

‘subjunctive’が「仮定法」?(2)

さて、「和式英文法」(って勝手に言ってますが)における非合理、不条理の元凶が何かと申さば、それは徹頭徹尾我らが国語たる日本語とは根柢から趣きを異にする英語という言語の法則(人類にとっての言語という大枠では基本は変らず?)を説くのに、肝心の英語(それが主役じゃん)は無視し去った国語、それも尋常の字義、語義とは懸隔した漢語(てえか字音語)を用い、その「国語訳」の妥当性などは何ら顧みることもなく、現実に世界中で日々実用されている当の英語における現実的用法のほうを枉げてでも、著しく穏当を欠くその「和訳文法用語」に依拠した規範を押し通すこそ正義なれ、とでも言うが如き傲然たる迷妄……って感じ?

長えよ。いってえ何言ってやがんだか、とは自分でも思っとります。多少大袈裟に揶揄してやろうとするあまりつい。申しわけございません。

2018年5月13日日曜日

‘subjunctive’が「仮定法」?(1)

日本固有の英文法が誇る支離滅裂ぶりはとっくに思い知っており、もう呆れ果てるのにもくたびれてるってのがほんとのところなんですが、この期に及んで、って感じで、今さらながら辟易の極みという思いにかられることが絶えませず、それに対する勝手な愚痴をまたひとくさり。

ほんとはこれ、既にもう数年前、友人に送り付けようと思って書き始めながら、例の如くあまりにも長くなっちゃったので放棄したままになってた文章ファイルを、今さらのようにほじくり返してるってのが実情。結局のところ、しつこく残ってたそのファイルの中身も、殆ど全部書き直すことにはなっちゃってますけど。
 
                  

とりあえずは「仮定法」なる言辞についての難癖など。

2018年5月10日木曜日

英語が屈折語?

和英間の、つまり国語と英語の文法(統語法? 構文法?)の違いなどについてちょっと。
 
                  

自慢話の主語は一人称、後ろめたいときは受動態にして動作主(つまり自分)は示さない。それこそが受動態の効用、ってある英国人が言ってたのを思い出しまして。

たとえば、政府関係者が「減税します」という言い方に対して、「増税されます」って言う、ってな具合。実際にそう言ってるかどうかはわかりませんけど。でもまあ、確かにそういう傾向はあるような気はします。いずれにしろ、毎度どうでもいい話で恐縮至極。どうにもこういう無益な話柄が好きなもので。

2018年5月8日火曜日

辞書はみんなおんなじ?

うっかりすると1ヶ月誰とも話さないし、テレビもスマホもないので、情報というようなものはパソコンかラジオからだけ得ているのが実情という生活です(ラジオ番組も録音はパソコンでやってっけど)。

「ウェブの情報はクズばかり」と言う人たちは、どうやって自分がたまたま読んだり聞いたりした話の当否を判断しいるのでしょう。マスコミ報道に限らず、古典的な出版物、名作と呼ばれるものだって結構容赦なく誤謬に満ちてるんですがねえ。結局は可及的多数の知見を勘案して自分で選択するしかないんじゃないかと。
 
                  

以前、知人と飲んでいて辞書の話題になったとき、自分としてはごく当然のつもりで、岩波にはこう書いてあるし、大修館はああ言ってる、というようなことを言ったら、「辞書はみんな一緒だと思ってた」って驚かれたのにこっちが驚いたことがありました。みんなおんなじなら1つありゃ充分じゃん。

2018年5月7日月曜日

欧文電算写植の思い出

若い頃、会社で電話に出たら、「いる?」って言うので「いらない」って切ったことが。
 
                  

その、従業員10人にも満たない小っちゃな会社でやっていた欧文電植(電算写真植字)の仕事は、その後に普及したDTPとは異なり、相当に専門的な知識と技術を要するもので、当然顧客もその分野に詳しい人たちばかり。ときどき必要に迫られた素人の客からも依頼はありましたけど、大抵は自分が素人だという自覚がちゃんとあり、遠慮がちに初歩的な質問をしてきます。こちらもそういう相手には丁寧に説明した上で仕事を受けるので、常連客よりよほど感謝してくれたものです。

ところが、いつでもどこでもトンチンカンに威張ったバカってのはいるもので、一度こんなことがあったんです。普段は和文しか扱っていないどっかの印刷会社の営業ってのが突然うちの会社を訪ねて来て、欧文の組版作法を一切無視した、殆ど物理的に無理な注文を押し通そうとする。いくら説明してやっても理解せず、挙句の果てに「客の言うことが聞けんのか」などとほざきやがる。手の施しようがありません。だから遠慮なく概ね次のように言ってやりました。

2018年5月6日日曜日

ハンター・デイビズの『ザ・ビートルズ』

ちょうど40年前の1978年、ロンドンの英語学校とは通りを挟んだ向いにあった本屋で偶然見つけ、迷わず買った ‘The Beatles’ っていう本がまた読みたくなり、部屋中を探してやっと見つけました。

そのさらに10年前の初版を改訂したというペーパーバックで、既にボロボロ、ページも相当に黄ばんでおりますが、それでも活字の使いようは今どきよりよほど正統的。たとえば ‘ff’ ‘fi’ ‘fl’ ‘ffi’ ‘ffl’ など、今じゃあウェブ上の表示と同様、全部1字ずつ並べるだけの本が普通になっててガッカリすることが多い中、全部 ‘ligature’、「合字」ってやつんなってんです。つまり2字あるいは3字が合わさって1つの活字になってるって寸法。

何のことかわかんないとしても、それは本場の欧米でも同じこと。堅気の衆なら日本人と変らんでしょうし、いったいそれに何の意味があるんだ、と思われるのもごく正常な反応ではあります。でもね、たとえば ‘f’ という活字と ‘i’ という別の活字を並べると、前者の右上に垂れ下がった丸い点(や横棒)と、後者のそれ(中学の英語教師は「アイ上の点を忘れるな」などと言ってやがったな)も当然並ぶことになり、しかも極めて近接、というよりくっついちゃったりして、甚だ見苦しい……なんて思うところからして一種の職業病の如きものなんでしょうけれど、作法どおりその合字を使うと、点は両方を兼ねた1つだけとなり、実にスッキリするってわけです。

2018年5月5日土曜日

3種の宇宙?

2014年8月23日土曜……と、日付まで残ってんですが、その日、旧友からメールで「宇宙」に当る英語について質問を受けまして、改めて考えてみたところ、その歳まで気づかなかった(考えたこともなかった)ことがいくつかわかったという話をちょっと。

まずはその友人からのメールを:

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ときに質問。
日本語の「宇宙」、英語では(カナで書くけど)「スペース」「コスモス」「ユニバース」なんて言っているのを聞くが、これらに明確な使い分けのあるやなしな。その段をお聞かせ願いたい。
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2018年5月3日木曜日

町奉行あれこれ(33 ‐ 終)

前回の予告どおり、前に図書館で見た『大武鑑』所収のちょっと気になる部分について。

武鑑ものの最大手となり、同業者の板株(いたかぶ:版権)を次々に買収していたという須原屋が、宝永7(1710)年に刊行した『一統武鑑』の内容をまとめた項に、同じ須原屋の『正風武鑑』から載録した「諸御役前錄 畧記」というのが挿入されてまして、その10項目めが「町御奉行 前錄」というやつ。「關東御打入之時」、すなわち天正18(1590)年の家康江戸入府から、宝永当時までの歴代町奉行名が記されております(「略記」は『大武鑑』編者の橋本博が付したものかも知れませんが、「前録」は原典どおりではないかと)。

2018年5月2日水曜日

町奉行あれこれ(32)

「まとめ」の続きです(全然まとまってねえじゃん)。

既に再三述べてはおりますが、元禄11(1698)年9月の「勅額火事」で呉服橋(南)番所たる松前伊豆守屋敷が焼け、翌月に、やはり被災していた鍛冶橋内の吉良上野介・保科兵部少輔(ひょうぶのしょう)両邸跡に移転します。同時に、保科は麻布へ、吉良は呉服橋門内の南側へと移るんですが、火災後の区画整理によるものか、火事の前の南番所が南北に3軒並んだうちの真ん中だったのに対し、新規吉良屋敷は2軒並びの南半分で、明暦3年正月(明暦の大火、「振袖火事」以前)の絵図に示された地割に復した状態。その南北二分の形は以後幕末まで不変のようです。

明暦3(1657)年当時は北半分が南番所でしたが、百年以上後に「北」番所となるのは、同じ呉服橋内でもこの南側。3年後に本所へ引っ込むまで吉良上野が住んでた場所でもあるんですけど、それはまだ先の話(いけねえ、おんなじような台詞を何度も言ってる)。

2018年5月1日火曜日

町奉行あれこれ(31)

「江戸町奉行」の「江戸」は冗語であり、単に「町奉行」と言えば江戸の町奉行を指していたのですが、とにかくその町奉行と、役宅(役屋敷)である「(御)番所」、今日言うところの「町奉行所」について、これまでに得た知見(拾得したカラ知識)およびそれについての論考(ちょいと加工を施したその受売り)をざっとまとめとこうかと思います。移転に伴う各番所の(非公式な)名称の変遷、およびその位置に応じた居住者の、つまり各町奉行の(やはり非公式な)呼称の推移、というのが主眼……の筈です。

これまでほうぼう寄り道しながらさんざん難癖をつけてきたのは、何度も申し上げておりますように、かつて三省堂で立読みした『図説 江戸町奉行所事典』という本に記載された説明文や図版、それと、いろいろ確認しようとして覗いたウェブの記事に対してなのでした。もともとこの長大な駄文は、自分の仕入れたカラ知識を自分のために整理せんがための、言うなれば悪足掻きの所産。いったいこれのどこが整理なものか、と思うのは正常な感覚とは存じますが、空間的な認識はともかく、継時的な把握やその記憶については、文章化という作業もなかなか有効だったりするのではないかと。自分にとっては、ってことですけど。