2018年2月28日水曜日

『帰ってくれたら嬉しいわ』という勘違い

下記は、昨2017年10月にラジオを聴いていて抱いた所感を再録したものです。英文読解における統語関係の認識不全……てえのも大仰だけど、構文要素たる各語句が互いにどう絡み合っているかがわかんないと、たった1語の役どころを取り違えただけで文全体の意味がひっくり返っちゃう、っていう、結構古典的な実例についての愚考。コール・ポーター作曲によるジャズ・スタンダードの邦題に対する雑言なんですが、古典的とは言い条、とっくに訂正されてるもんだと思ってたので、軽く驚いたのでした。

とにかくまあ、そのときに早速 SNS に投稿した駄文を以下に。

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ありゃまあ……。

元々ジャズこそ得意分野だという八代亜紀の ‘You'd Be So Nice to Come Home to’ がラジオ番組で紹介されてたんですが、わざわざ古典的な誤訳『帰ってくれたら嬉しいわ』って言ってました。英語通を名乗ってた大橋巨泉の訳らしいですね。

日本人の知らない「おられますか」

かなり古い話ですが、2010年7月末、またぞろ友人に送り付けた長大な敬語論、ってより「正しい敬語の作法」とやらにに対する言いがかりを、ざっと見直しを施して以下に。

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姉貴んちに「日本人の知らない日本語」てえ「絵本」(読み物なんだか漫画なんだか判然としない本)があったので、ちょいとめくってみたら、なかなかおもしれえじゃねえか。だいぶ前から評判なのは知ってた(こないだ〔2010年7月15日〕からつまらねえドラマ仕立てにしてテレビでもやってやがる)。日本語学校の外国人生徒が発する、大抵の日本人には到底答えるよすがとてなき日本語についての難問奇問にまごつく教師の図、ってのが主旨。70年代の英国で同工のドラマやってたけど、何と申しましょうか、日本も偉くなったものよのう、って感じ?

ところが、ここでも思わず「またかよ」って思った部分がありましたのさ(これわざとね。「思わず」に「思う」たあ俺もなかなか……)。事務員か何かが「先生おられますか」と言ったのに対し、「生徒の前でそういう誤った日本語は……」みたような注意をするてえくだりなんだけど、それもう厭きたよ。

2018年2月27日火曜日

英語じゃないのよカタカナ語は

英文和訳なんてものをやっていると、英語とカタカナ外来語の違いってのがしばしば厄介の種だったりするんですが、人によってはまったく苦にならないどころか、片っ端から原記をカタカナに換えてきゃいいんだから楽なもんじゃん、てえんでビックリ。

でもねえ、日頃ウェブの記事なんか見てても不愉快、ってより不可解なのが、その種のカタカナ言葉てえやつなんですよね。単純に、何のことやら意味が知れねえじゃねえか、って感じ。書いてるやつ自身がわかってない(ことがまずわかってない)のは、文脈を念入りにたどってみればほぼ例外なく知れます。ま、わざわざそんなことしなきゃならねえって時点で悪文たるは灼然なれど。

飽くまでそうじゃないと言い張るなら、とりあえず全部フツーの国語、漢語か和語にしてみねえな、って言いたくなりますね。それができりゃハナから意味不明(てより何ら表意能力のない)カタカナなんぞにゃするめえが。俺だってそれが難しいからいつも余計な手間食ってんだし。

2018年2月25日日曜日

「正しい」和式英文法への抵抗(2)

長いので前回は途中で一旦区切りましたが、以下に残りの項目を並べます。

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each other/one another
‘Each other’ and ‘one another’ are interchangeable in all contexts: no differentiation is made according to the number of the items involved. Perhaps ‘one another’ would be preferred in general statements, ‘each other’ tending to be preferred in particular situations. ‘Either other’ was used in the past exclusively of two items, but has long been obsolete.
 
大意:‘each other’と‘one another’はあらゆる文脈において交換可能であり、事項の数によって使い分けられるわけではない。前者が一般的、後者が特殊な話題で好まれる傾向にあるとは言えるかも知れないが。かつては2者にのみ用いられた‘either other’という言い方もあったものの、既に廃れて久しい。

「正しい」和式英文法への抵抗(1)

前回に続き、またぞろ過去の拙文を流用。この話柄については未だに腹に据え兼ねてもおりまして。原文は、前回掲載分の数日前、2016年9月13日の記述です。

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暫く前、ちょっとした事情があって、日本では未だに金科玉条の如き勢威を誇る例の受験英語というやつに対し、どうせならこっちからもエラそうな英語で威張り返してやろうなどと、またぞろ無益な試みを思い立ちました。

その事情というやつについてはさておき、まずは以下にその威張り返しの例をいくつか示すことと致します。

2018年2月24日土曜日

とんだアイデンティティ違い

手抜きではありますが、2016年9月18日のSNSへの投稿をここに再録したくなりました。

カタカナ外来語のみならず、外国語に対して不用意に付された字音語訳(和製漢語)にもありがちなことですが、ときに原語とは語義が乖離してしまっている例が少なくないんですよね。

困るのは、飽くまで国語である外来語と、元の外国語が同一であるわけはない、というわかり切ったことがまるでわかっていない英語通(だと自分を思い込んでいる人)が、翻訳仕事の発注者(である企業の職員)だったりして、いちいち見当外れの指図をしてきたり、こちらの訳にトンチンカン極まる朱を入れて「もっと勉強しなさい」などとほざきやがること。

2018年2月22日木曜日

クイーンの「'39年」について

10年あまり前に印刷会社のDTP要員を解雇され、再就職もままならず、成行きで居職の英語翻訳などで糊口を凌ぐ身とはなり……と思っていたら、その後取引先の翻訳会社が2つほど倒産したりしまして、もともと不充分だった報酬すら得難くなくなって早数年……って、そんな愚痴が趣旨ではありませんでした。

何年か前、普段仕事で接する面倒なだけでおもしろくもない原稿(失礼)に辟易するあまり、たまにはちょいと自分の道楽で好きな歌の訳でも捻ってみようか、と思ったことがございまして。実は、ポップソングの訳詞ってのを見るたびに、そのあまりの無様さに、自分は金輪際こういうのには一切手を出すまい、とは思い極めていたのですが、ちょっとしたきっかけで、まあ手慰みにひとつ試みておくのもいいか、ってな気になっちまって。

とは言いながら、何せメロディーに乗せるなどは至難の極みなれば、それはハナから念頭になかったし、歌詞の区切りを原記に合せて歌われるとおりの順序で並べてくってだけで厄介なのも先刻承知。にもかかわらず、そのとき何ゆえ敢えて破戒に及んだかと申しますと、Queenの作の中でも数十年来最も好きな‘'39’という「謎の」歌を、その謎の謎たるところをまったく解さざるが如く、了見違いの「訳詞」を自慢気に掲げてある例を複数、ウェブで偶然見かけてしまい、何だよこれは、と思ったところから、なら俺が自分でやってやるわい、と思っちゃったっていう仕儀なのでした。

2018年2月18日日曜日

明朝体が何だって?

3年前の2015年2月、SNS上の友達の投稿記事に対し、いつものように迷惑を省みることもなく、以下の長文を書き込んでいたことに気づきました。我ながら相も変らぬ無用の容喙、多少忸怩たるところもありつつ、またぞろここにそれを掲げようという、重ね重ねも無用の所行。毎度すみませず。

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【前略】……というお人の書き込みを見ていたら、以下の記述に遭遇〔当該の記事は削除済みの模様〕

〈明朝体の「明」って昔の中国の明のことでしょ。江戸幕府なんか影も形もない頃だよ。アタマの悪すぎるツッコミだこと。〉

……で、これは下記のニュースに反応したもの:

ついでの言いがかり

さらに「ハッカー考」からの余談(愚痴)を。これで終りにするつもりです。以下、早速その拙文からの引用ということで。

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そう言えば、ずっと前のことですが、「ラーメンをソバと言うな。ソバは蕎麦粉に決ってる」と毒づいてた野郎を見たことがあります。これも言葉の多層性という、普通に暮らしていれば子供にだって了知し得る昭然たる事象を解さざる愚蒙のともがら。

ラーメン(老麺? 拉麺?)を「中華そば」とも呼ぶのは周知の事実だし、それどころかかつては「支那そば」って言うのが普通だったのを知らんのかね(PI=政治的にマズい、ってんで、この呼称は理不尽にも抑圧されているようですが)。「南京そば」はあまり聞かないけど、いずれにしろ蕎麦粉なんざ使ってなくったって、形状からソバって呼ばれて何の不思議がありましょう(「焼きそば」はどうする?)。そんなに言うなら、そもそも蕎麦は植物の名称であって、チミの言ってんのはそれを原料とした食品、「蕎麦切り」のこったろう、って言ってやったっていいんだぜ、こっちは(どのみち小麦粉はたんまり混ざってんのが普通だし)。

2018年2月17日土曜日

「フルヘッヘンド」の思い出

先に投稿したハッカー談義の中で、愛用する英ロングマン社の辞書 ‘LDOCE’ における動詞 ‘to crack’ の定義をご紹介申し上げました。基本義以下多数挙げられた定義中、やっとその9項め(10番め以下は熟語)に、

《違法にソフトを複製したり、純正版の機能を一部欠くような無料ソフトが純正版と同様に使えるよう、その無料ソフトを改変したりする〔……長えな〕:to illegally copy software or change free software which may lack certain features of the full version, so that the free software works in the same way as the full version》

とあり、また別掲の句動詞‘crack into’として、

2018年2月16日金曜日

標準国語アクセントの変容

件の長過ぎるハッカー談義、原文は友人に宛てて書いたもの、と申しましたが、実はそれ、その友人(男)へは、言わば横流しのように後から送ったというのが実情で、まずはさる女人に向けて書いたものなのでした。忘れてた。

初めはメール本文でちょこっと送ろうと思っていたところ、いつものようにすぐにとんでもない長さになってしまい、ひとまずテキストファイルにして添付する作戦に変え、それはまあ数日で書き終えたものの、眼目のハッカーに関してさえ狂的な長さだってのに、別の話題にも野放図に言及した結果、どう見ても文字の表示をいろいろ変えないと話が伝わらないところもあるのに気づき、結局ワードに流し込んで修正することに。

                  

ところが、やはりと言うべきか、次々と気になる点が目につき始め、どうにも止らなくなってしまいまして。まったく無意味な拘りなんですけど、行末はみな文節の切れ目でとか、孤立行は厳禁とか(欧文組版要員だったための職業病のような)、毎度のことながら自縄自縛の蟻地獄(ある種極楽?)。

2018年2月14日水曜日

すべからくすべき?

先般の投稿でケチをつけた、小学館の大辞泉調べによるという2013年のウェブ記事では、首位の「ハッカー」に続いてその他の誤用についても紹介されており、あの投稿の基になった長文(あれよりさらに長かったんです)ではそれらについても言及した上、触発されたように思い浮かんだ別の例についても書き込んでおりました。そのときに思いついたさらなる類例も加えて以下に記そうと思います。しつこくてすみません。文体は原文どおりですが、単なる横着によるものにて。

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確信犯、姑息、悪びれる……

さて、件の記事によれば、

〈間違いの第2位は「確信犯」で、本来は「信念に基づいて“正しいことだ”と思い込んでする犯罪」だが、「悪いことであるとわかっていながらする犯罪」と間違って使っている人が73%に達した〉

とのこと。知ってはいたけど、こりゃもう派生義として(誤用の慣用化ってことで)とっくに受容されてるもんだと思ってました。

このほか、

キング牧師の名言が裏返し(3)

【承前】

〔一連のこの投稿、異様に長いので自分でも忘れそうになりますが、2年ほど前友人に宛てて書いた文章に修正を加えたものなのでした。多少とも時事に言及した箇所は2016年現在の状況に対応します……ってことを一応断っとかなくちゃ、って今気づいたりして。〕

ええと、この拙文の主旨は、 ‘cannot be too ...’ が「~過ぎるということはない」なのか「~になり過ぎてはいけない」なのか、ってことだったんでした。そんで、自分としては前者しかないと思い、いろいろ検索もして改めて考えてみるに、やっぱり後者はないだろう、という結論を得るに至った……って話をするつもりが、例によってかくも長き結果とはなっちまったてえ次第。どうせ確信犯(信念による行為?)ですので、そこはひとつ。

駄目押しってわけでもないけれど、最後に今1つ、検索によって見つけたネタをご紹介。これも、「radical過ぎってことはあり得ない」という解釈を掩護する傍証のようなものです。それも、 ‘conservative’ を標榜しながら‘radical’さも誇示しようとしてキング牧師のこの言葉を引用するも、自家撞着に陥りそうなので後半を端折った、っていう絶妙の事例。2009年の英 ‘Sunday Telegraph’ 紙の記事で、その年の保守党大会を控えた党首のデイビッド・キャメロン(この駄文執筆当時は首相)がこの新聞に書いた文章を、同紙の記者がちょいと揶揄したものなんです。でもその記者(副編集長だったらしい)、なんと強姦罪で去年(2014年)つかまったそうな……。

キング牧師の名言が裏返し(2)

【承前】‘can’ が許可、 ‘cannot’ が禁止の意で受容されるようになったのはここ百年ばかりの間のようで、以前英国で購入した語法書には、「ビクトリア朝時代(ざっと幕末~明治期)なら、子供に ‘Can I ... ?’ と許可を求められた教師は、意地悪く ‘You can, but you may not.’ と応じたであろう」なんて記述もあったと記憶します。

当然かなりの昔から ‘may’ とすべきを ‘can’ で代用する物言いは通用していたものの、かつてはそれが誤用または不作法と見なされていたってことです。今でも、口頭ではなく文書や掲示による許可には、口語としては多少古風なこの ‘may’ がよく使われます(‘can’ と同様、可能性を表すなら口語でも普通)。命令(否定形はやはり禁止)にはご存知 ‘must’ のほか、ちょっと堅苦しいけど ‘shall’ なども現役。

ただ、通常そうした意味でこれらの助動詞が付されるのは、「行為」、すなわち意思によってどうこうできる振舞いを表す動詞であり、意思によらない「存在」だの「状態」だのを表す ‘be’(態度とか姿勢なら意思に左右され得るか)に ‘can’ を用いた場合は、なかなか許可や禁止の意味にはならず、文脈にもよるとは言え、ほぼ「あり得る/あり得ない」という話にしかならんのです。

2018年2月13日火曜日

キング牧師の名言が裏返し(1)

2015年の暮、SNSで「辛い思いをキング牧師の言葉で救われた」っていう女性の投稿を見たんですが、それれに対する一部の蒙昧かつ倨傲なる愚者(毎度失礼)の反応が腹立たしく、思わずまた友人に長文を送り付けて憤懣をぶつけてしまいました。その後もたびたび、そのよく知られた台詞に対する致命的な誤訳がウェブに大威張りで掲げられているのを見るのですが、やはりどうにも落ち着かず、ここにまたその長駄文を晒してやろうと思いましたる次第。

以下に、なんせまたむむやみに長いから何度か区切ることになるとは思いますが、その慨嘆または難癖を、多少(かなり)手を加えつつ記して参ると致します。

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とりあえずそのキング牧師の言葉っていうのは――

‘When you are right, you cannot be too radical; when you are wrong, you cannot be too conservative.’

というもので、その女性はこれを、

2018年2月12日月曜日

「ハッカー」は‘hacker’に非ず?(3)

【承前】
 

語源の討究

 
その語源サイトによれば、(乱雑に)切る者」という意味、それと恐らくは「切る道具(鉈とか?)を作る者」という意味における ‘hacker’ の語源は、〈13世紀初期(名字として)、 hack(動詞1)から〉となっていました。こう言われると、その「動詞1」ってのも見ざあならねえ、ってことになるじゃござんせんか、どうしたって(因みに「動詞1」とか「名詞2」とかの数字は、語源別の分類によるものです)。

しかしそれはひとまず置いといて、問題のコンピューターハッカーについてはってえと、〈1983年には確実に「コンピューターの記録に不正なアクセスを為す者」という意味で使われて〉おり、これは動詞2からとのこと。

やっぱり気になるけど、 ‘hack’ は後で見ることにして先を読むと、こちらの ‘hacker’ の由来は――

「ハッカー」は‘hacker’に非ず?(2)

【承前】

 

術語としての下位区分

 
Wikipedia には感動的なほど詳細な(長大な)解説があり、読むのにかなり時間がかかっちゃったけど、いやあ、よっくわかりました。対してWiktionaryのほうはごく素っ気なくて、あまり参考にはなりませんでしたね(いずれも2013年当時に覗いた記事です)。

コンピューター用語として掲げられた語義は3つで、1つめが前述の「プログラミングとコンピューター障害の解決に長けた者」、2つめが「コンピューターを使って不正にデータへアクセスする者」、3つめが「コンピューターセキュリティのプロ」でした。やはり ‘cracker’ を「同義語」として挙げておりますが、それは米国外における2つめの語義(つまり大辞泉が間違いとするハッカーの意味)に対してのものであることも括弧入りで付加されています。

さらに、用語法の注意事項として、米国内では他の英語国よりもかなり語義が広いこと、コンピューターの専門分野で ‘hacker’ を ‘cracker’ の意味で使うのは米国以外で顕著な傾向であること、一部のコンピューターオタク(じゃなくて「愛好家」か)は侵入者を ‘hacker’ ではなく ‘cracker’ と呼ぶべしと言っていること、の3点を指摘しているのには、なるほどねって感じでしたが。

「ハッカー」は‘hacker’に非ず?(1)

既に数年前ですが、2013年の10月、『間違った意味で使われる言葉、1位は「ハッカー」=「大辞泉」調べ』なる記事をウェブで目にし、それについて八つ当り的に愚痴った長駄文を友人に送り付けてしまいました。今さらながら、それをちょいとここに晒したくなりまして。

原文はダラダラと無秩序に続く長~い言いがかりなんですが、後からそれを少し縮め、適当なところに無理やり見出しなども挿入したりしたものを、さらにところどころ書き改めて以下に掲げようという、相変らずの要らざる魂胆。

少し縮めて見出しを挿入、などと言ったところで、いずれ姑息極まる弥縫策に過ぎぬは明白。焼け石に水ってところが実情で、その見出しで区切った文章の長さも随分と不統一なんですが、なんせこれ、ハナからまったく無計画に、全体の構成なんぞは一顧だにせぬまま書き散らしたものですので、今になって然るべき整理を施すなどという境地には到底及び得ませず。

いずれにしろ依然長大ではありますので、何とかその無理やりの区切りを利用して前後3回ほどに分割の上、順次示して参る所存。原文はワードの文書なんですが、最初に書き始めたときにはテキストファイルだったのを、話柄の都合上、どうしても文字の表示をあちこち変えないとわかりづらい、ってことに思い至り、それでワードを使うことにしたんでした。ここに掲げるに当って、まずは不要なコマンドの残滓を除去したり、改めて文字の表示をほうぼう考え直したりなど、どうも当初思っていたほど安直には参りませず……って、また何言いわけしてんだか。

まあ、とりあえずその1つめを――

2018年2月6日火曜日

笄あれこれとか

前回までは、『よみがえる幕末・明治』という間違いだらけの写真集を嗤う企画(?)の一環として、太刀(たち)と打刀(うちがたな)の違いや後者の大小セット、およびその付属品などについて、随分と余計な能書きを垂れ流しておりましたが、以下、大小揃いの拵(こしらえ)に付属する部品について申し残したことを並べて参りたいと存じます。

大小拵では標準装備の1つ、鞘の裏側、差裏(さしうら)に付けておく小柄が武器ではなく、言わば携帯用の工具あるいは文具のようなものであったのに対し、差表(さしおもて)に装着する笄(こうがい)は、烏帽子を常用した時代から用いられていた、髪を掻いたり整えたりするための道具なのでした。これが「髪掻」、すなわち「かみが(か)き」の転であることは先般申し上げたとおり。

後代には実用より殆ど装飾品のような存在となりますが、この刀装品とは別に、古くから男女ともに髪を掻き上げるのに用いた箸状の笄もあり(ウェブ上には両者の笄を混同した記述が目立ちます)、室町期の女官が垂髪(すいはつ/たれがみ)を束ねた下げ髪をこれに巻きつけて留めたところから、江戸初期に流行した「笄髷(こうがいまげ」(発祥地の上方では「わげ」)という髪形が生れたと申します。
 

2018年2月5日月曜日

目貫あれこれ(2)

引き続き「目貫」に関するカラ知識を書き散らします。

古代風の、すなわち茎(なかご)と柄とを固定する「目釘」と一体のものは「真目貫(まことめぬき)」、後世の装飾専用のものは「飾目貫(かざりめぬき)」または「空目貫(そらめぬき)」と称する、とのことなんですが、前者は後者の「そら(=虚偽)めぬき」に誘発された誤用の流布したもの、との指摘もあります。「まことめぬき」ではなく「間塞(まふたぎ)目貫」と言うほうが正しいのだとも。わかりませんけど。

                  

ああ、でもこういう「飾(かざり)」だの「間塞(まふさぎ)」だのという言い分けが生じたということは、同じ「目貫」という言葉が2つの異なるものに対して併用された時期があったということでしょうかね。やがて旧来の「間塞」あるいは「真(まこと)」のほうは用途に特化して「目釘」と呼ばれるようになり、単に「目貫」と言えば専ら新参の「飾」のほうを指すに至った……とか?

何やら「ちくわ」と「かまぼこ」の関係が想起されますな。後者のほうがよほど新参者のくせに、遥か古代からあった前者の形状による呼称を奪い取り、あわれ元来の「蒲鉾」は「竹輪」に「格下げ」……みたいな。

2018年2月4日日曜日

目貫あれこれ (1)

また少し間が開きましたが、前回に続き、大小拵(だいしょうごしらえ)の付属品についてのまったく要らざるカラ知識などを。

笄(こうがい)と小柄(こづか)が多少とも実用を兼ねたものであるのに対し、柄の表裏両面に付す装飾品、「目貫(めぬき)」というものもありまして、これら3種の意匠を揃えたセットを「三所物(みところもの)」と称します。こうしたお揃いの刀装品は「揃金具(そろいかなぐ)」と呼ばれ、三所物に加えて「柄頭(つかがしら)」と、反対側の鍔側に嵌める「縁金(ふちがね)」(単に「頭」「縁」とも)を合せた「五所物(いつところもの?)」もあり、その他、鍔なども含め、任意の2種を抱き合わせたものは「二所物(ふたところもの)」ということに。

三所物:目貫、小柄、笄